宝鏡寺にまつわる人々

宝鏡寺と和宮

 仁孝天皇(にんこうてんのう)を父君とする和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)は、公武合体のため徳川将軍家茂公にご降嫁され、明治維新の“江戸城開城”に隠れたご功績を残されました。

 ご幼少の頃、百々御所(宝鏡寺)へお成りになっては、若い上臈(じょうろう)たちとすごろくや貝合わせなどに興じられたり、鶴亀の庭で遊ばれたりしました。

 また、とくに母方の祖父である橋本実久卿がお亡くなりになった際には、宝鏡寺に住まわれ、その間よく上臈たちとお経を唱えられたということです。

 このようなことから、宝鏡寺には絵巻物をはじめとした和宮様のご遺品が、御所より特別に下賜されました。

四季耕作絵巻下巻・円山應立画 打敷 花鳥文様蒔絵小文筥




大慈院 日野富子

 公卿日野政光の息女日野富子(1440〜1496)は、室町幕府八代将軍足利義政(よしまさ)の妻となりました。我が子義尚(よしひさ)を世継ぎにしようとしたことが、“応仁の乱”を引き起こした原因のひとつとされました。

 後円天皇の母、崇賢門院(すうけんもんいん)を開基とする大慈院(浄土宗)が明治初期まで宝鏡寺に隣接してあり、後に富子は出家して妙善院(みょうぜんいん)となってここに入りました。

 いま大慈院は宝鏡寺に受け継がれて日野富子のご木像も奉られています。宝鏡寺第十五世渓山(けいざん)禅師は、義政と富子の息女でもあります。

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